夏がきた

気が付けば七月だった。本当に気が付いたら七月だった。
お客さんに「領収書お願い」と言われて日付を確認するたびに「ああもう、七月か」と思う。

去年の七月はひたすら上京した友達と遊んでたような気がする。
あと今のバイトではなく、一か月でやめてしまったバイトもしてたような気がする。
ほとんどニートで外に出ず、夏らしいことをした記憶がないので今年はたくさん夏らしいことをしたい。
「今一番友達がいるかも」と友達がいっていたが私も今一番たくさん友達がいて とても精神が安定していると思う。
そうはいっても自傷行為にはしらなくなっただけで、不安に襲われたりはする。
この不安とはたぶん私は一生付き合っていかなければならないなと、いつも思う。

うまくまとまった事が書けない。最近書きたいことが特にない。伝えたいことがあふれ出してこない。よくない事だと思う。
とりあえずお盆はどこかへ行きたい。ぼんやりしているうちに、きっと秋がくる。
今年はどんな夏にできるかな。

切ない、嬉しいバンド 「スカート」

ストーリー

ストーリー

『スカート』その名前をどんどん最近聞く。
私がスカートに思うことは不思議な事ばかりである。

私はあまり『ミュージシャン』の私生活に興味がなく、
「○○(バント名)の××さんってカレーが好きなんだって〜」とか、
「○○さんは○○(他のバンドの人)さんと仲がいいんだって」とそういうミュージシャンの私生活的なものを聞くと不思議に思う。

そんな事ってどうでもよくない?

今まではその人が提供している物が良くって、曲ばかり聞いていた。
その人がどういう事を思ってその曲を作ったのだとか昔はどうでもいいことだった。

だけど最近は興味が出てきて、この人はどんな気持ちで曲を作っているのだろうと考えるとわくわくする。その一人がスカートの「澤部さん」である。

スカートの事は1stアルバムが出たときに知った。(ニワカや!)
知り合いのライターさんが絶賛していたのと、知り合いがジャケットを書いていたからという単純な理由。

一番最初に聞いたときはなんだかあんまりグッと来なくって、
うーん?という感じだった。2stアルバムが出た頃、

音源を聴き直したらジワジワと胸に来るものがあった。切ない感じ、懐かしい感じ、悲しい感じ、楽しい感じ。

今学生だったら学校をエスケープし、私は川沿いを歩きながら良いヘッドフォンで「S,F」を聞いていたに違いない。
高校生の頃に戻りたい。そしてスカートのCDを聞きたい。

話を戻すと、人の事を知るのはとても怖い。

だけども、その人の作品を見たとき、私生活やバックホーンがある程度情報が入っていると「こういう事を考えているから、」「こういうものが作れるんだ」と最近私は素直に感動するのであった。

それは作品を作っている人にとって多分一致しないことが多いだろうし、「なんだか気持ち悪いなぁ」という感じかもしれないけども、

一ファンとしては嬉しいことなのである。
だから澤部さんのとどまる事の知らない同人活動Twitterでの多くのつぶやきにはいろいろと胸を打たれる。

なんだかうまくまとまらなかったけど、スカートはいいバンド。切なくて、嬉しいバンドだと思います。
これからもどんどん応援していきたい。

大人になんかなりたくねえ!

・バイト続いてます。

20になったけど何にも変わらね〜!酒が飲めるようになったくらい!
本当に大人が嫌いで、嫌な大人ばっかり見てきたけどほんーーーっとーに大人になりたかった。矛盾してるけど。

家に帰ったらロクでもない事ばかりだし、学校も嫌いだった。笑ってばっかりいたけど何にも楽しくなかった、楽しかったのかもしれないけど、何かが辛かった。
笑う事で会話に参加している、という安心感がほしかった。だからいつも大げさに笑ってはしゃいだ。笑い声が魔女みたいだ、とよく言われた(笑
学校にも家にも居場所はなかった。どこか遠くへいつも行きたかった。夜中家を抜け出しても私をかくまってくれる場所はない事は知っていた。どこか気が休まる場所がほしかった。

私が見てきたロクでもない大人、見てもみぬフリする大人、金で女買う奴ら、初めてカウンセリングに行ったらイライラしたら「お皿を割りなさい」と言った大人、
割れた皿はどうするの?誰が掃除するの?
私でしょ。イライラしちゃって家中のお皿がなくなったらどうするわけ?
誰も答えてくれなかった。

大人になったらどこへでもいけると思ってた。夜は一人でも全然寂しくないし、一人で生きていけるものだと思ってた。自動的にそうなるようなものだと思ってた。だけど!どうしたこの惨状は?

勢いでここまで書いたけど、別にすげー病んでるって訳じゃない。
まぁメンヘラだけど前より元気になった。
だるくて一歩も動けなくってコンビニにもいけなかった毎日が嘘みたい。
今は元気に飛び跳ねて泣いたり笑ったりしてる。本当に皆さんありがとう。

答えなんてどこにもない。自分で見つけるしか。割ったお皿は自分で片すしかない。家中のお皿を割ってはいけない。私は知った。

だけど本当はもう大人になんか、なりたくなかった。

二十になったぜやったね!

二十になりました。
二十になった瞬間、私の体はなんとみるみる変化しAKBをトップを張れるばりのアイドルに大変身し、表の顔はアイドル、裏では「歌舞伎町FX☆」という名前でN2爆弾を搭載しながらヤクザをボコる立派な大人に!

なったりしなくって。サムい事いうのはここまでで、なにも変わってません。
相変わらずメンタルは右肩下がりに良くって、心は元気なのに体がついてこなかったりその逆もあって本当にだるいし、毎日だるい。
友達も減ったし、本当に相変わらずご苦労さまですってとこです。

11の時からずっと大人になる事に憧れていた。
私の母は本当に放任で、まぁ母もいっぱいいっぱいだったのでしょう。
だから私は本当の意味で『放置』されてました。お母さんが夜恋人に会いにでかけたりとかちっとも寂しくなかったけど、夜は怖くて泣いてた。

だがこれは悲しいことではなく、嬉しいことで、
私は普通の11じゃ体験できないような事ばかり体験してきたので全然オッケーだったけどまぁこの辺ちゃんとしてたら「こじらせて」なかったかな。

周りのやつより心の年齢がいくら上でも、私は「未成年」。
どこへ行っても「未成年」。
家に帰りたくない時、友達の家なんて押しかけられない。
我慢するしかなかった「未成年」だから。

興味があっても「未成年」のせいでエロい本は買えないし、つまらない。
できることのはばが狭い訳です。

二十になった瞬間、酒解禁、タバコ解禁、なんでもできるぜーーバリバリー!!!!!って感じだけど。
いざとなったら、タバコに酒なんて興味がねー。

はて?私は何をしたいのだろうか。さっぱりわからん。
二十になった瞬間「大人としての自覚を持たないとさ〜」とか言い始めるし、どうかしてるぜ。

というか大人になったら「自動的」に「ちゃんとしてて」「真面目」で「できる」子になれると思ってた。
絵もうまくなるし、普通の大学にいってるし、普通に生活できるし。

そんなの夢のまた夢。「普通」なんていかにすごいものか。
マジ毎日電車に乗ってるサラリーマンに敬礼。あなたが裏で女の子を買っていても私は許す。それで普通に生活できるなら。


私は普通の女の子だけど、「普通に生活」するのは普通に困難。

よくあるモラトリアム系、

何をもって大人だとかあーだこーだ考えてるうちにきっと21、22、〜30ってなる。わかってる。

答えなんてなく、ただ歩き続けるしかないのだなと諦めがついている。
マイナスだけどプラスに、プラスに出来る時はプラスに。


そういう訳で、私は今日も元気です。バイト続いてます。
皆さんありがとう。

「希望」という言葉

今年のまとめとは違うけど、今年色濃く感じたことなどを今日は書きます。

2012年、一番良く目にした言葉は「希望」という言葉です。
そしてほかの人の音楽や絵などの作品から感じ取ったものも「希望」でした。

それはなぜか。
それは2011年にあった「3.11」が関係していると思います。

今まで文章を書く中で「震災と絡めて何かを話すことはダサい」と私は感じていました。(今は思ってません。スイマセン)
震災以降の「日本、頑張ろう!」という張り紙を見るたびにうんざりしていたし、
作り手が作品を語るとき「この絵は震災が〜」と言う度に「ああまたか」と思っていた。
多くの人が震災を語った、その事に私はうんざりしていた。


だけど 父が死に、園子温の映画『ヒミズ』や『希望の国』などを見て私は考えを改めました。

父の死をキッカケに私は身近な人の「死」が怖く、この前の大きな地震も「誰かが死ぬのではないか」と他人の死さえも怖くなってしまいました。だがそれは、当たり前のことだったんです。
昔の自分は 「どうして人を殺してはいけないのか・自分が死んではいけないのか」 がわからなかった。
でも、「父の死」というものを体感してわかったんです、
人が死ぬのは、心の底から悲しい事だと。

すごく悲しいことがあったら、多くの人が反応するのは当たり前の事です。
それが私にはやっとわかった。

話が反れましたが「希望」についてです。

私が感じた主観ですが、

2012年前半は皆がむしゃらに前に進もうと若者に「希望のような曖昧なもの」を押しつけている空気を感じました。
 皆が混乱していて混沌としていた。
「震災」という言葉を聞くたびに若者は皆絶望し、そこで終わっていた。
「何かしなくてはいけない」、震災という大きなものに私たちが出来る事はなにもなく私たちは考えるのをやめた。

2012年後半から「希望」という言葉を頻繁に目にするようになった。
上のほうでも話した『希望の国』。
震災の映画なのになぜタイトルは「希望」なのだろうか?
この前の記事に書いた「非道に生きる」に園さんは書いていましたが「絶望に勝ったのではなく、希望に負けた」と。

また、同じ監督の『ヒミズ』では
主人公の借金を、人を殺してまで返したオッサンは、「どうしてそんなに住田(主人公に)良くするのか?」と聞かれた時に
「住田(主人公)さんは俺たちの希望なんだ!」と答えます。
そしてこの前上映をしたばかりですが、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」では
カヲル君はひたすら「希望はあるよ」「希望はまだ残っている」と「希望」という言葉を繰り返す。
この前終わったばかりのガンスリンガーガールでも「希望」という言葉を目にした。

私たちの日常は3,11から明らかに「非日常」になってしまって足元はもうグラグラだ。
そんな時でも私たちは考え続け、そして進化し続けねばならない。
古い世代の方が「未来を若者に託す」という事が私には無責任だし、嫌だなと思っていたけど

最近は古い世代の方が「しょうがねえ、もうお前たちに未来を託すしかねえ。お前たちが俺たちの希望だ!!」という振り絞った意見を見ると
それこそもう「希望」に見える。

絶望というのはすぐに終わるから楽チンだが、「希望」というものを掲げるのは難しい。
「希望」というのは曖昧であまり居心地のいいものではないから。
だけどもどうか、
 託された「希望」という言葉を胸にしてこれからは生きたいなって思いました。

「さきくさの咲く頃」を読んで

ふみふみこさんの「さきくさの咲く頃」を読んで

ふみふみこさんの新刊「さきくさの咲く頃」を読んだ。
まずこの前本屋に行って新刊をチェックしているときに目についた、表紙がすごく綺麗だった。
インスタグラムに「買った」と写真をあげると
外人から「この絵はすごくいい。すごく綺麗な表紙だ!タイトルを和訳してくれ」とコメントがついた。(和訳した


さきくさの咲く頃

さきくさの咲く頃

「ほめられて伸びるタイプのポコポコ」という太田出版さんがやっているwebで漫画を連載するサイトで
ふみふみこさんが何かを連載しているのは知っていたが、この「さきくさに咲く頃」とは思わなかった。
大判だし分厚いので「高いのかな・・」と思ったら952円で思ったよりしなかった、分厚いのに安くてお得感。

・夢のように終わる三人の青春。

「青春」というと私は毎日ギャーギャー騒ぎ帰りにファミレスに寄ったり買い食いしたり、告って「俺も好きだったんだ!付き合おう」とかリア充的なものを想像するし、発狂する。そういうのに縁ないし。

ただこの作品でいう「青春」はそんな甘いものではなく、ほろ苦く切ない。
好きな人とはうまくはいかず、将来やりたいことも曖昧で。
でもこんな「青春」があってもいいと私は思う。
いつか大人になったとき思うんだ、『ああ、あんな事もあったなあ』って。

ここに書かれているのはその一部なんだなって思う。
「青春」にお別れをいう日なんてこなくていいし、「大人」になんてならなくたっていい、
ただ人の「成長」だけは止められない事なんだなと感じた。

そして声を大にして言いたいことがあって、

ふみふみこさんは絵を見たときに私は「コミティアに居そうな作家さんだな〜」と侮っていたんだけど(申し訳ないです。)
違う!絵がめっちゃエロいねんな!!!
かわいいし、輪郭がとろけるような絵を書くし、たまにパロってるし、そしてエロいねんな!!!
ちゃんとセックスシーンもあるんだよ!!!!!


セックスシーンを覗いても、ふみふみこさんの書く「少女」は幼さとエロティックさ、そしてエロいねん!!!(三回目)

「女の穴」も面白いですが、「さきくさの咲く頃」どうでしょうか。とてもエロいです。

「非道に生きる」を読んで

園子温非道に生きる」を読んで

非道に生きる (ideaink 〈アイデアインク〉)

非道に生きる (ideaink 〈アイデアインク〉)

『「映画の外道、映画の非道を生き抜きたい」という僕の気持ちはつまるところ僕の人生そのものだ。思えば生まれたときから僕はへそまがりで常に世間にそっぽを向いてきたし、世間も僕にそっぽを向いてきた。これからもそうだろうし、むしろどんどん嫌われて「こんなの映画じゃない」と言われる映画を撮り続けたい。
「クズ同然」の人生と小さい頃から言われてきた通り、圧倒的に嫌われまくって生きていこうと思っている。それこそが僕の「生きるエネルギー」だし、「何くそ」精神がなければここまでやってこれなかった。

何度も骨をボキッとへし折られるような痛みを世間が僕に与えてきてくれたことには、いつも感謝している。そして最大の悪意をもって奴らに恩返ししようと、いつだって思っている』


と本書の最初に書いてあり、私は大変びっくりした。
まず園子温監督の映画が「こんなの映画じゃない!」なんて言われてるのか〜と思った。

二年前に私は「愛のむきだし」を見てから「園子温最高!」になってずっと作品をおってきた。
冷たい熱帯魚が公開される頃には周りには「園子温って面白いの?」と言ってくるやつがざわざわと増え、
最近では「園子温面白いじゃん!!!!」と幼稚園から一緒の幼馴染までいうようになった。

つまり私の周りでは「園子温の作品は面白い」という評価がされている。
だから「こんなの映画じゃない!」なんて言ってるやつを見たことがないし、逆に見てみたい。

あと大体は、作品を見ても監督に興味が湧いたりしないほうだと自分は思っていた。
音楽もそうで、曲は好きだけど歌っている本人たちには興味がない、という。
でも自分はそうじゃなかった。最近そうじゃないんだな〜と思った。
「この人は何を考えどんなふうに生きてきてこの作品を作ったのか」というものに興味がわいてくるようになった。

そしてこの本を読んで、

園子温監督は自分というものをがっつり映画にぶつける人なんだなと思った。

いつだって私の楽しいと感じるもの、好きなものには「その人の欲望」が隠れている。
「その人の欲望」っていうのは、かわいいものが好きな人はかわいいものを書くし、
その時悲しい気持ちだった人は悲しい映画を撮る。そういうものがすごく好きだ。

本来、人は「人間らしさ」を感じた時に感動するらしいが私はそれが感覚にモロにでていて、むきだしの悲しみや、怒り、喜びなどにすごく共鳴するし、とても好きだ。
だからあんなに本当に「むきだし」だった「愛のむきだし」はすっごく好きだ。おすすめの映画を聞かれた時に「愛のむきだし」だと一番に答える。


やはり撮ってる本人が「楽しい」と思って撮った映画はすごく楽しい。
描いてる本人が「これはかわいいぞ〜!」と自分で納得しながら描いた絵はすごくイキイキしていてかわいい。
伝わってくるものがある。

あと最後にあった、「自分が自分の関係者であるために」という文章はすごくよかった。
54人の女子高生がいっせいのいっせいのいっせいのせー で電車のホームに飛び降りる映画『自殺サークル』でその台詞は使われていた。
「あなたは、あなたの関係者ですか?」という台詞。(古屋兎丸さんが言うしw)

この台詞はなんだか頭にこびりついて離れなかった。んん〜?意味がわかるようなわからないような。
非道に生きる」を読んで納得がいった。

『自分は自分の良き理解者であること。でないと、自分と自分は無関係になってしまいます。ただ好きなように自分の面白いと思った事を追求すればいい。いつの間にか他人はそれを「非道」だと言うけどそんな時も、自分が自分の良き理解者でありパートナーであればいい。自分を見捨ててはいけません』
と最後の最後で書いてあった。
なるほどな〜と思った。これを読んでから園監督の映画を見たらまた一味違う感じで観れるかもしれないと思った。

この前公開した3・11をテーマにした『希望の国』の事について書いてあった。
私はこの映画を見たときに「今!今見るべき映画だ!」と思った。今みて今認知するしかない映画だ。
2012年に見るべき映画だった。
ヒミズ』や『希望の国』を見て「なぜ3.11なのか?」と思ったけど、読んだら疑問が解消されてすっきりした。

とにかく読んでほしい。
生きているうちにいろんな物を見よう。いろんなところへ行こう、いろんな事を感じ、そして死のう、と前向きになった。




・バイト
奇跡的に続いてる。
毎日が奇跡の連続。私は今束の間の奇跡の中にいるのです、って感じ。
なんとかいっぱいいっぱいにならずバイトの後も遊べるような元気が出てきた。

・ブログ
書きたいことは山ほどあるのにインターネットには公開できないような事ばかりで悲しい。
最近TVなどよりも「インターネット」のほうが危ないのでは?と思うようになってきた。
すぐに拡散されるし、デマは流れるしで
インターネットは怖いな。
でも書きたい!!!昔のように書きなぐりたい〜〜〜。
もうちょっと 月日が経ってからかな。